赤いスイートピー日和

山形、桜はまだ満開ではない。

木蓮が咲いている。

よく行く映画館の前に立っている家の庭にとても大きな白木蓮の木がある。

 

木蓮といえば、前住んでいたアパートの周りにたくさん植っていた。道に沿って植えられていたので、春になるととても綺麗だった。去年、引っ越す前にもう見れないんだなと寂しく思ったのを覚えている。

 

ここ数日、本当に春らしくなり、急に赤いスイートピーが聴きたくなった。

歌詞切なすぎる。これ、悲恋?

でも、楽しいよね…切なくて楽しいよね…

「なぜ知り合った日から半年過ぎても

あなたって手も握らない」

→tp 的に、脈なしだからだろう。

 

「気が弱いけど素敵な人だから」というのは恋フィルターがかかっているに違いない。

切な過ぎて朝から泣いた。心当たりがあるから。

 

 

ヴィクトル・エリセの「瞳をとじて」を観てきた。

川底に沈んだ昔の記憶や気持ちを照らしているようだった。

映画って記憶でもあるなー!映画という記憶。

思い出に関する話って正直大好きだし、それしか人生に意味ないと思ってる。昔話ばかりするおばあさんになるかも。

観れて良かったけど、それはそれとして長かったな。てか冒頭の頭が2個ついてる像、あざとい(笑)象徴的すぎる。よく見つけたわね。有名な像なのかな。

 

てか、大学の映画の講義で登場人物がこちらに語りかけてくるシーンについて聞いたことあるけど(観客も共犯者にするみたいな、忘れたけど)、そんな語りかけよりもスクリーンから向けられた懐中電灯の光を眩しく思ったときのほうが地続きなんだって思わされる。

 

それはそれとして、終盤(映画を上映しているシーン)、映画という思い出の方が画面上鮮やかなのがすごかった。

 

今度は映画館でノスタルジアが観れるみたいね。

観るわよん。